『両国の川開き』=隅田川の花火大会、大花火の想い出

両国の川開き
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第一話 両国の川開き

写真提供:吉田幸雄氏

昭和29年両国の川開きの写真。

当時の花火を待つ準備風景です。この桟敷は花火見物の特等席。もちろん大変な贅沢な席です。

現在の隅田川河岸左の写真は同じ角度…とまではいきませんが、現在の様子です。様相は本当にすっかり変わってしまいました。

若い方には「それって、何?」、少し年配の方なら「懐かしい」と思われる言葉でしょう。

現在は「隅田川花火大会」。東京の真夏の夜の宴としてあまりにも有名になった花火大会のことです。

海に海開き、山に山開きがあるように、川開きがありました。その起源は江戸時代まで遡りますが、今回は昭和36年まで行われていた「両国の川開き」のお話をいたしましょう。

この写真は昭和29年頃の花火を待つ午後をとったものです。
隅田川沿いの柳橋より蔵前橋まで、料亭がずらりと列んでいました。

そして、川開きの日、各料亭さんの桟敷が川に組み立てられ、舟がぎっしりと舳先を前に揃えて浮かんでいます。夕方にもなれば、花火を待つお客様や芸者さんでいっぱいになり料亭さんの提灯に灯がともりそのさんざめく様子は圧巻でした。 当時はまさしく両国橋のたもとで花火が打ち上げられていました。

夜空に咲く大輪の花、おなかに響く打ち上げの衝撃音の凄さ。花火見物の人々のどよめき。

家の真上で上がる花火の色彩と音を想像してみてください。

この写真の当時生まれた私は3,4歳くらいまで、あまりの迫力に泣きやまなかったそうです。

 

当日は朝から大騒ぎ

写真提供:吉田幸雄氏

同じく、花火を待つ準備中の風景です。料亭さんの桟敷の前に更にぎっしり舟がならび、そこも花火見物の宴席になるのです。

こうした準備中の写真はなかなか残しておくことも少ないと思います。

でも、写真をよく見ると既に昼間から待ちきれず酒宴がはじまっているところもあるようですね。この当時にカラーの写真があってそれが出てきたので、私どももビックリしております

現在の船よりもかなり小さい舟ですが、神田川は東京中の舟や、それこそ千葉からやって来た舟でビッシリと埋まってしまいます。それは川の向こう岸まで、舟の上をぴょんぴょんと渡っていけるほど。

さすがに渡らせてはもらえませんでしたが、実はやってみたくて仕方がありませんでした。
当日は子供心にも家業が忙しいのは判っていましたから、手伝いたくてハリきって駆け回ったものです。
靖国通りから柳橋方面には、人も車も通行許可証がないと出入りできませんでした。

でも舟宿など関係者は通してもらうことができましたから、私は「小松屋でーす」と一言ことわるだけで通してもらえることがうれしくて、得意げに何度も行ったり来たりしたものです。

当時は娯楽も少なかったためでしょう、今以上に花火を楽しみにしている人々がたくさん川沿いに押し寄せました。そして、この日は子供や女性はもちろんのこと、男性も浴衣姿にうちわ片手にお洒落も楽しんでいました。

隅田川の川岸には現在のように高いビルも高速道路もなく、空が広く、高く思えたものです。
現在は打ち上げ場所も隅田川上流に移り、船も大きくなり、大川端の風景もすっかり変わってしまいました。写真を見るととても懐かしく、また少し寂しい気持ちにもなります。

それでも、花火当日のドキドキする気持ちは子供の頃から変わることなく、またこれからも感じ続けたいと願いつつ、毎年この日を待ちわびるのです。

女将筆

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